李 鋼哲所長の回顧録(連載):①「アジア人を紹介します」

著者:2008年8月、故郷延吉にて

「アジア人」を紹介します。

『朝日新聞』永持裕紀 (「動く中国とつきあう」研究チーム)

 2003年2月25日、朝日新聞アジアネットワーク(AAN)と韓国の東亜日報21世紀平和研究所、中国の現代国際関係研究所が合同で、「急展開する朝鮮半島情勢-北朝鮮の動向を中心に」がテーマのシンポジウムを朝日新聞東京本社内で開きました。ANNは昨年、ふたつのシンクタンクと個別に提携関係を結び、定期的な交流活動を続けていくことを決めました。その第一弾です。

 シンポジウムでは、核開発問題を通じた北朝鮮の国際社会への揺さぶりの狙いや真意をどう見るか、そして、武力ではなく話し合いにより北朝鮮の行動を変えていくにはどうすればよいかをめぐり、活発な議論が続けられました。詳細は3月6日付朝日新聞朝刊に掲載する予定です。

 シンポジウムでも発言した一人、李鋼哲・新世紀アジア人開発研究センター理事長(43)を紹介したいと思います。李さんは中国吉林省延辺朝鮮族自治州出身の朝鮮族です。北京の中央民族大学で哲学を学んだ後、将来を嘱望される共産党員が学ぶ北京市党校大学院に進み、「党建研究科」を87年に修了しました。「党建」とは党の建設であり、変化する中国社会で共産党の影響力をいかに確保するかを研究する中枢部門です。栄達を約束された道を、けれど李さんは捨て、90年代から日本に留学し、環日本海総合研究機構、東アジア総合研究所、東京財団などで研究活動を続けます。昨年からAANコラムニストとなりました。

 1986年の胡耀邦・党総書記(当時)失脚、89年の天安門事件によって、予測の難しい中国政治に深入りして、人生を「不安定化」することを避けようと思ったことがひとつ。そして、中国の政界で栄達するためには次の3条件が必要だということに気づいたためだといいます。ひとつは能力があること、次に人間関係に恵まれていること、そしてゴマすりがうまいこと。

 能力は別にして、あとのふたつ、特に思ったことを言いたい自分にはゴマすりができないことを自覚して、研究者の道を選んだといいます。中国のパスポートを持っていますが、日本をベースに世界各地に出張します。中国にいるよりはるかに動きやすいと言います。

 昨年4月に平壌に行ったときは、「朝鮮族」同士として北朝鮮の人々と話してきました。そうした語らいを通じた李さんならではの北朝鮮観があるようです。その一部は、3月6日のシンポジウム紙面でも紹介しようと思っています。

中国は北朝鮮の現状をどうみているか。

 中国が最も恐れているのは北朝鮮の体制が崩壊し、韓国が吸収合併する形で南北統一が実現することだ。その場合は在韓米軍の位置づけも変わる可能性は薄いとみられる。すると、理論的には中朝国境の鴨緑江まで強大な米軍事力の影響下に入ってしまう。そうした事態を北京は絶対に避けたい……。

 こうしたパワーポリティクスの見取り図を、李さんは「こうした考え方もある」という感じでさらりと語ります。自分はもう国家のゲームには関心ないんですが、と言いたげに。そして、自らを「もうナニジンか分からなくなってきたからアジア人と言い始めているんです」と話す。国に過剰に頼ることのないアジア人。中国共産党員としての栄達を未練気なく手放した李さんのような人は、「アジア共同体」を一足先に具現化している人なのかもしれません。 (2003年2月28日『朝日新聞』朝刊)

 この記事で書かれている「アジア人」を目指すのが、私の今までの研究や活動のモットであり、これからの人生においてのモットでもある。

 100年前のアジアを振り返ると、「貧困のアジア」、「相互葛藤のアジア」、そして「欧米に遅れたアジア」というイメージが浮かび上がる。それから100年経った現在、アジアは昔のイメージを払拭し、新しいイメージを造り上げなければならない。それは「豊かなアジア」、「開かれたアジア」、「自由なアジア」のイメージを作り上げ、そして最後にはアジアに平和と繁栄の共同体を構築することが、我々の夢になるべきであり、その夢を実現することが我々の使命になるべきであると、筆者は常々心の奥で考えている。

 実は、現在アジアはドラスティックに変化しつつあり、様々な波乱曲折はあるにせよ、時代のうねりは私が夢見た方向に進みつつあると感じている。